人生ぴよぴよ

メンヘラが社会復帰目指す

波に呑まれない方法

この数ヶ月は生理前にメンタルが荒れることがあまりなかった。どちらかというと肌荒れに気を取られていて、感情の変化に気づかなかった。メンヘラになるのは暇人だけというのは本当だと思う。

ここ最近、化粧水を変えたせいか生活リズムが規則正しくなったせいかは分からないけど肌の調子が良い。多少脂っぽいものを食べてもニキビができない。代わりにメンタルの調子がめちゃくちゃ悪くなった。ピルシートを見てPMSの時期かも、と自覚した途端にやられた。イライラして悲しくなって寂しくなって、どうしようもない時間だった。どうしようもなく辛かったけど、この感覚は久しぶりだと思った。昔はよくこんなふうに辛くなってむやみやたらにお酒を飲んだり泣き喚いたりしてみたっけ。今は泣き喚くほど子供ではないけど、それくらい辛い時にちょうど電話をくれた相手に思ってることを全部吐き出したら楽になった。

そのときになんとなく自分で口にしたのが、「たまにデフラグが必要」という言葉だった。まあ要は感情を整理が必要って言いたかったんだけど、デフラグというのは自分でも上手い表現をしたなあと。

今まで他人に自分の感情を吐き出してもあまりすっきり経験がない。相談に乗ってもらった場合は除く。ただ自分の感情を吐き出して、それでスッキリ!次にいこ!みたいになることが想像できずにいた。話してもまだどこかでモヤモヤしていた。せっかく話すのだし、何より私のつまらなくて暗い話を聞いてもらうのだからもっと上手に話したいと思っていた。今までの私はただ感情を吐き出していただけで、整理できていたわけではなかった。感情を吐き出す=全てを空にするというイメージが私の頭にはあったんだと思う。でも重要なのはそうではなく、全てを吐き出したあとに誰か(話を聞いてくれている誰か)の手を借りながら必要なものと不要なものに分けたり、同じような言葉で表現した感情を一つにまとめたりする作業だった。

今回のPMSはめちゃめちゃに重かった。だけどこの正しい「感情の整理」ができたのでメンタルの波に呑まれずに済んだ。

次回以降もこれで乗り切れると良い。

前半は蛇足、後半は自分について

今年の夏で27歳になった。最近久しぶりに会う人が多いおかげで、「あのころは○歳(だいたい20代前半)だったのに!」と言われることが多い。

 

まず大学時代にバイトしていた居酒屋のアルバイトの子たち2人と会った。仮にAさん、Bちゃんとする。Aさんは私がすごく慕っていた一つ年上の人で、私にサブカルの印象を植え付けた人だった。Bちゃんは私より一つ年下の女の子で、私のことを慕ってくれていた。

Aさんは前述の通り当時サブカルに傾倒していて、着ているものも見ているものも全てがサブカル”らしさ”のようなものがあった。宇宙柄のカバン(説明できない)、よくわからないツイート、何を言っているのか分からない煙に巻かれるような話し方。でも当時Aさんには好きな人がいて、その人は当時私が好きだった人と属性がよく似ていた。居酒屋なのでバイトが終わるのは遅いときで夜中の2時や3時。そのあと飲みに行って、ベロベロに酔っ払って、帰ってきてからは「愛されたいだけなのにね」みたいな痛々しいLINEをしながら寝落ちするみたいなことをよくしていた。お互いにそのときの恋はうまくいったようないってないような微妙な終わり方をした。私にとってAさんは自分を写す鏡というか、半歩前を歩く存在というか、自分を見ているのか他人を見ているのか分からない不思議な存在だった。

Bちゃんはバイトに入ってきたときまだ未成年だったので一緒にお酒を飲んだ回数はそんなになかったと思う。他のアルバイトの子たちがみんな大学生で、お酒を飲む量が多ければ多いほどえらいしすごいというような雰囲気のバイトに馴染むのが大変だったと言っていた(そんな空気もあったなあ)。私はお酒が弱かったのでそういう空気についていけず、大きな飲み会の席でお酒を飲むのが辛くなるとBちゃんの隣にくっついてジュースをよく飲んでいた。Bちゃんはよく気が効く子で、私と一歳しか変わらないのにテキパキと動き回って他の人からの評判もよかった。

ここまで書いて分かる通り、私はAさんとはめちゃくちゃ仲良かったけどBちゃんとの個人的な付き合いはそこまで深くなかった。だから今回Bちゃんから飲みにいきましょうと誘われて驚いたけど、Aさんと3人だと聞いたのでなんとなく行ってみた。

 

当時のあなたはこんな人でしたよね、と言われるたびに今の私はどんな人間なんだろうと思う。今のあなたはこんな人ですねと言われる機会は少ない。良いところも悪いところも、昔の自分については色んな人が色んなことを言ってくるのに。だから今の自分について自分で考えることにした。蛇足が長くなった。

 

今の私は昔よりも圧倒的にメンタルが落ち着いているように見えると思う。メンヘラと言われる回数は減った。数年前までは10人と関われば9人にはメンヘラと言われていたのが、今ではせいぜい1人か2人くらい。なぜそうなったかと言うと、昔ほど簡単に人と関わらなくなったからだと思う。今でもメンヘラ度合いのようなものは昔と変わらない。ただ、自分のそういう特性を理解したからなるべく広く浅く関わるようにしている。それでも一度深く関わってしまえばメンヘラであることに変わりはない。

もうひとつ、一人でいることを重要視するようになった。辛いときや寂しいときほど一人でいるようにしている。昔は寂しくてどうしようもない夜はすぐ誰かに連絡して飲みに行ったり電話したりしていた。他人の時間を奪うことに躊躇せず、誰かが優しく話を聞いてくれることが当たり前だと(当時その自覚はなかったけど)思っていた。でも今は一人でいてどうしようもなく寂しくても、それを一人で乗り越えることが美徳だと感じるようになった。たぶんただのプライドの問題。辛いときほど一人で、できればアルコール抜きで過ごすこと。これが27歳になった私の守っている一番大きな信念だと思う。それでもどうしようもないときは寝る。睡眠薬は便利。

 

自分では落ち着いたと思っているし昔に比べたらそうなんだけど、最近知り合った人にはやはり「喜怒哀楽が激しいね」と言われる。特に誰かのことをムカつくとか嫌いとか、そういうマイナスの感情をエネルギーにすることが多いからそう思われるらしい。でもそれは素晴らしいことだと言われた。マイナスをただのマイナスで終わらせるよりもずっと良いことだと人から言われて、長年自分のネガティブな感情に振り回されてきた自分が救われた。

でもよく思うのは私が振り回してきた人たちは、いくら私が落ち着きました昔よりメンヘラはマシですと言ったところで何も許してくれないだろうということ。メンタルがおかしくなった私のしょうもない話に朝まで付き合ってくれた人、影響されて落ち込んだ気持ちにさせてしまった人、数えきれないくらい迷惑をかけた。これで懺悔に代えるわけではない。これからも迷惑をかけたことを自覚して同じことをできるだけ繰り返さないようにしなくてはいけない。

 

自己分析。

むごい人生

ツァラストラはかく語りき、「むごい人生よ、それでももう一度」。最近この言葉の意味がわかる。

 

私の家の前の道には何十本も金木犀の木が植えられている。誰かがTwitterに書いていた。「金木犀ってこんなに強い香りなんだ」って。私は小さいころからずっと知っていた。初夏になるとうるさいくらいに鳴くセミセミが鳴き終わるのを待たずに鈴虫が鳴き始め、ああもう秋だなと考えていると金木犀が咲き始める。金木犀はあっという間に満開になり、肺いっぱいにその香りを吸い込むことになる。ヘビースモーカーの父親はよく言う。この季節はタバコの煙よりも金木犀そのものを吸い込んでいるようだ、と。そうかもしれない。

今年はやけ金木犀に言及するツイートを多く見て、それと同時に金木犀の香りでしか情緒を感じることができないのか、というツイートもたくさん見た。なんだか悲しかった。

私の部屋の窓から見える一番大きな木は桜の木だ。咲くのが毎年早いように思う。近所の小学生がそこを通るころには散ってしまっている。私は家にいることが多いから、桜が咲いて散るまでをよく見ている。

夏にはうるさいくらいにセミがよく鳴く。朝から夜までずっと、いろんな種類のセミ。カブトムシやクワガタもよく獲れる。

秋は上に書いたとおり、金木犀がたくさん咲く。満開の様子も綺麗だし良い香りだけど、雨が降って一斉に散ったあとの地面は金木犀の絨毯みたいでとても綺麗。それが一番好き、秋が終わったと実感するし、今年も生き抜いたと自分を褒めたくなる。

春夏秋を感じるものはたくさんあるけど冬を感じるようなものはあまりない。雪は降っても積もらないし、ただ家で炬燵に潜ってアイスを食べて過ごしていると気づけば年が変わって、また桜が咲く。その繰り返し。

 

私は金木犀の香りがこの一年で嗅ぐ香りのできるもので一番好き。金木犀の花も好き。うちの周りに咲く百合よりも、よくわからないキノコよりも、金木犀が一番好き。

私は生まれを呪うことがよくある。もっとお金持ちだったら、お兄ちゃんがいなかったら、最初の職場を辞めなかったら。むごい人生だけど、こんなにむせ返るような金木犀の香りを知らずに死ぬのは嫌だと思った。初夏秋、そしてよくわからない冬、多少なりとも情緒を理解できる自分の生活が好きだ。私はもう一度私の一年間を繰り返したい。かく語らん、それでももう一度。

タイムマシーンに乗って

やりたくてもできなかったことを始めた。ギター、ダイエット、あと可能なら青春18きっぷで旅行したい。過去の私を救うために今の私が努力をする。今の私が努力をして、代わりにお金をかけてあげて、それで未来の私は救われるのだろうか。

いつも人生は辛いと思っていた。毎日同じことの繰り返しなのに苦味だけ増していく。眠剤は口に入れてすぐに飲み込まないと苦味がひどい。眠れなくなるのと同じように、人生の苦味も増えたなあなんて思っていた。それなのに思い返すといつもあの頃は楽ばかりしていた、と考えてしまう。私の主体性はどこにあるんだろう。私って一体どんな人間だったっけ。今年に入ってから自分のことがよく分からなくなった。自分のことが分からなくなったのか、薬の量が増えて健忘の症状が出やすくなって記憶が曖昧だからそう感じるだけなのか、よく分からない。でも少なくとも数年前までの私はクリアな頭の中で、はっきりとした目で、もっと絶望していたように思う。

思ったんだけど麻酔が効いているみたいだ。少し辛いことは減ったように思う。諦めがついたから未来に対する絶望が減ったのだと思っていた。実際は薬に毒されて(変な言葉)何も分からなくなってしまったのかもしれない。辛いことも悲しいことも分からなくていいし、楽しいことだって健忘のせいにして忘れちゃってもいいけど、大切な人と約束したことまで忘れたくない。好きな人に、酔ったふりをして伝えた「大好き」って言葉まで忘れたくない。本当はあのとき酔ってなかったんだよ、何杯飲んでも全く酔えなくて、酔ったふりして言っちゃおうかなって思ったんだって、いつか言えるのか忘れちゃうのか分からないから書き置きです。

笑うから笑えるだけ

ずっと笑ってはいけないシリーズを見ていた。huluで24時間鬼ごっこから2018年分まで配信されていたので、暇潰しに見始めたら面白かった。

 

毎年笑ってはいけないシリーズはリアルタイムで見ている。何時間もぶっ続けで見ていると気が散るから途中でスマホをいじったり寝転んだりして、結局毎年たいして見ていなかったらしい。「このシーン覚える」と思うところもあれば、「こんなんあったっけ!?」と驚きつつゲラゲラ笑うシーンもあった。

お笑いは好きだ。やっぱりテレビで何年も放送しているような人気番組は面白いなーと思う。笑ってはいけないシリーズ以外にもガキ使の過去作がhuluで配信されているので興味がある回だけ見た。

 

テレビを見ていてもつまらないからスマホをいじるんだと思っていたけど、スマホをいじるからつまらなくなるのかもしれない。複数の芸人が出演してネタを披露する番組なら話は違うのかもしれないが、バラエティ番組は最初から最後まで見てこそジワジワくる面白さもあるなと思った。特に今回の笑ってはいけないシリーズ。何年分も連続して見ているせいもあるけど、「この流れ去年のでもやってたな」とか、「ケツバットやってる人、これ去年も出てた」「このネタはいついつのだ」などの気づきがある。私が気づくってことは当然出演している人たちも気づいているので、そこでクスクス笑ったりいじったりしてるのを見るとやっぱり私もゲラゲラ笑っちゃう。

 

昔見ていたテレビは面白かったけど、最近のテレビはつまんないと思っていた。つまんなくしていたのは自分自身だったのかも。

両親、特に父はお笑い番組が好き。ダウンタウンはすごく好き。テレビを見ていてもつまんなそうにしていることが多い父だけど、ダウンタウンが出ていると楽しそうにテレビを見ている。父が楽しそうにしてるんなら私もスマホいじらないでちゃんと見てようかな、と思って見ていたら父の笑い声に誘発されて信じられないくらい大声で笑ってた。小さい頃はこうやって一緒にテレビを見ていたよね。スマホばっかりいじってたけど、目の前の人と一緒に楽しむ手段はそこになかったのにな。

テレビなんて娯楽なんだから片手間に見るくらいでちょうどいいと思うよ、そういうスタンスは否定できない。でももっと楽しむ方法はあったんだ、と気づいて尚更年末年始のお笑い番組が楽しみになった。父と一緒に年末年始の特番の情報を仕入れては何をリアルタイムで見るか、何を録画するか相談してる。楽しい。

希死念慮と向き合う

ここ数日希死念慮が特にひどい。夜中でも昼間でも関係なく一人になると襲ってくる。家族と話をしていてもトイレに立つと希死念慮が襲ってくる。精神的な面でやられてると理解はしているけどどうしたらいいか分からない。

心療内科に行かなくなってどれくらいだろう。心療内科に行かなくなってからしばらくは安定剤や睡眠導入剤個人輸入していたけどお金がもったいなくてやめた。だから今はそれ系の薬は何も飲んでいない。気休めに漢方を飲み始めて一週間くらいだけどあまり効いていないと思う。ないよりはマシ、今ある分だけはきちんと飲みきる。

 

心療内科に行かなくなった理由は、情けないけどなかなか人に話せていない。とても悲しかった。

元々実家近くの病院に二年くらい通っていた。予約をしても3時間くらいは待たされるのでキツかったけど一番近くにあるので、薬をもらうためと割り切って通った。だけど事情により住んでるところが変わった時期があり、通いづらくなったので転院のために紹介状をお願いした。転院先の病院でそこの先生と一緒に紹介状を読んだのだけど、あまりにも酷い内容だった。あることないことが書かれていたし、全く身に覚えがなかったので悲しくて怖くてたまらなかった。その場でたまたま新しい先生が私にも紹介状の内容を教えてくれたからそれが発覚したものの、もし教えてもらっていなければ誤解を受けたまま治療を受けることになっていた。どこで私と元の病院の先生との間に誤解が生まれたのかはわからない。私が誤解されるような話し方をしたのかもしれない、とも思ったけど誤解とかいうレベルじゃなかった。具体的には、私が精神的な不安定さから不特定多数の男性と関係を持つクセが継続していると書かれていた。特に年上の男性(父親くらい) との関係が多いと。そんなことは一切ない。本当に悲しかった。新しい病院には恋人にも付き添ってもらっていたので、もしこんなことが彼の耳に入ったらと思うとたまらなくなって新しい病院にも行けなくなった。だって私と医者のどちらの話を信じるかって言われたら、そんなの分からないから。私なら医者を信じるかもしれない。

このような経緯で治療を投げ出した。また治療を再開したいと思う。思うけど、紹介状はもう手元にないし、もらいに行くのも嫌だし、またイチから診察をやり直すのも、変なことをカルテに書かれるのも嫌だ。

私のような出来損ないがせめて人に迷惑をかけないように生きるためには、専門の医者にお金を払って助けを求めるしかないと思っていた。その医者でさえ投げ出すような人間がこの先どうやって社会生活を送っていけるんだろう。人と関わらずに生きていくなんて不可能だ。

 

この襲ってくる希死念慮とどのように向き合えばいいのか。早く朝になってほしい。

秋ってなんでおいしいの?

一年の中で一番好きな季節は夏だった。去年まではとにかく夏が好きで好きで好きで仕方なかったし、太陽が暑いとか人混みとかどうでもよかった。自分のことを蝉だと思っていたのかな。夏が終わったら死んじゃうから一生懸命鳴かなきゃって。ところが今年は人間として夏を過ごした。日差しがきつい、体力が奪われる、汗でベタベタする、人混みがいや。当たり前のことを当たり前に話す大人になった。そもそも春は花粉症で頭がぼーっとしてる。冬は寒い、とにかく寒い。秋は悪いところがない。特に好きなところもないから毎年秋だからどうのこうのって思い出はなかったけど、今年からは消去法で好きな季節は秋になりました。よっつしかない季節でどれかひとつを決めなきゃいけないのもおかしいけど、ひとつの季節が2ヶ月か3ヶ月は続くんだから、私は秋が好き!! って思い込まないと毎日生きていくのしんどい。

 

私は秋が好きなので、暑さが落ち着いたこれからの季節が楽しみです。読書の秋ですね。それから食欲の秋。美味しいものがたくさんある。やきいも、かぼちゃ、スイートポテト、かぼちゃスープ、かぼちゃスープ大好きだけど冷たいかぼちゃスープには飽きてきたから涼しいくらいでちょうどいい、熱々のかぼちゃスープ飲みたい。あとは紅葉ですね。2年くらい前に高尾山に登ろうとしたけどロープウェイに乗ったら満足しちゃって、登らずにトンボ帰りしたのは良い思い出です。紅葉といえば小学生のときは落ち葉清掃なんてあったなあ。掃除の時間は嫌いだったけど落ち葉清掃は楽しかった。あとは学祭とかこれからの季節ですか? 大学生という概念から離れて久しいので確かなことはわからないんだけど、秋くらいにサークルのみんなで集まって何かをした気がする。

 

秋が終わったら冬を好きになるので、今のうちに冬の良いところを探しておきます。秋はかぼちゃがあれば良いね。かぼちゃ大好き。