人生ぴよぴよ

メンヘラが社会復帰目指す

あたりまえのこと

仕事でたまに英語を使う。と言っても私はたいして英語ができないので、ネイティブと同じスピードで英語を喋っている人を見てすごいなあと思っていた。あのくらい淀みなく話すことができたらどんなに気持ちいいのかな、できることが広がるのかな。そんなことを考えていたら、でも私は日本語が使える、と気づいた。日本に生まれて20年以上経つのだから当たり前なんだけど、赤の他人同士でコミュニケーションが取れるってすごいことだ。これを読んでいる人は私と違う母親から生まれ違う学校に通い、全く違う人生を歩んできたはずなのに、私の言いたいことを分かってくれている、たぶん。こんなにすごいことってある?

誰かが自分の言いたいことわかってくれないとか、誤解が生まれるとか、些細な問題だと思った。大前提として言葉を理解してくれる人(本当にストレートに理解してくれるという意味)が身近にいて、その人に何かを伝えたいと思って、でもその人がわかってくれていないことを自分も理解できて、ってひとつひとつ段階を踏んで考えると奇跡のような出来事だと思う。

もちろんうまく言葉が通じないなあと思う人はいる。環境とか学歴とか嗜好とか、もう何が原因なのかわからないけど、とにかく扱う言語が同じってだけでは分かり合えない人っていうのも人生のどこかでは必ず出会う、きっと。それでも伝えることを諦めたくないし、理解することを諦めたくない。言葉は財産だ。私が身につけたもの、だれかが身につけたもの、親とか友達とか本とか映画とか、外からの刺激によって得たもの、自分で考えて居心地よく使えるものを選びぬいて、それが私に向けられたら真摯に受け止めたい。

言葉の素晴らしさを噛み締めてる。夏の夜長。暑い。