人生ぴよぴよ

メンヘラが社会復帰目指す

日記190122

今日は朝ゴミ出しをして、洗濯機を回して、少し横になり、会社と退職手続き関係の連絡を取り、洗濯物を干して、買い物に出かけた。ひとりで外出するのは久しぶりだった。晴れていたので少し距離のある駅まで歩いて牛丼を食べ、スーパーに行って、タリーズで本を読んだ。

仕事が続かない自分を情けなく思う。でも、今回はちゃんと(?)ではないにしても辞めると伝えて、手続きの連絡を取って正式な順番で退職しようとしている。嫌なこと・面倒なことから逃げる癖がある私にしては進歩だと思うことにする。

まだ次の仕事を探す気にはなれない。どんな仕事なら続けられるか想像もできなくて、せっかく築いた人間関係を壊してしまうことが怖い。私の味方ってだれだっけ?

ヒーローみたいに私の危機を救ってくれる人を待っていても事態は好転しない。手を差し伸べてくれる人がいるあいだに自分で歩く。

死にたい私の遺書

御察しの通り仕事に行けていない。自分の日記やブログを読み返すたびに、何回こんなことを繰り返せばいいのか、と自問している。答えを記していることはないけど本当はずっと分かっていた。私が毎日同じ職場で、だれかとコミュニケーションを取り、小さな衝突とか話し合いとか助け合いとかを越えて生活することは不可能だ。

人から見たら甘えかもしれない。仕事に行けないなんて信じられない? でも私はいつだって仕事に行くくらいなら死んだほうがマシだと思って、ベッドの上で手首を切ろうか薬をたくさん飲もうか飛び降りてしまおうかと頭の中でぐるぐると駆け巡る。メンヘラにありがちな希死念慮だから実際に実行したことはない。手首に弱くカッターを押し当てたところで私の人生が終わったことはない。そんなこと分かっていながら、その場しのぎでここまで生きてきた。

初めて死にたいと思ったあの日に終わらせてしまえばよかった。今日死んだら、私がここまで生きたことを誰かが褒めてくれるだろうか。この先誰かに押し付けてしまうはずだった迷惑をかけずに済むことを褒めてくれるだろうか。私の今までの人生を認めて、よく頑張ったねって言ってくれるだろうか。

こんな風に生きていたくない。だから私は会社員以外で生きていく方法を探さなくてはいけない。私にできることを一つずつこなしている時間はない。そんなことをしていたら私は潰れてしまう。今年は、今年こそは死にたい私と決別して、死にたいなんて口にしない私に、ちゃんと生きる私になりたい。

死にたかった私へ。何年もずっと死にたい私、今まで生きてくれてありがとう。無理をしなくていいから細く長く生きる、辛くなったら仕事を休む、周りの目を気にしないと決めたあの日の私。あのときの私にはそれがベストな選択だったね。でももうそんなこともできなくなってきた。だから、次の方法を考える。死にたい私が2019年でいなくなりますように。どうか今までの私の人生が救われますように。

弱い自分と向き合うあれこれ

この前の記事で書いた、『ぼくたちは習慣で、できている。』を読み終わった。小説以外の本は久しぶりに読んだのだけどとてもよかった。マシュマロ・テストの例から始まり、「意志が強い人」とはどのような人か、習慣を作る方法、習慣がもたらすもの、など。読書後なので影響を受けて意識が高くなっているだけかもしれないが、私も生活を見直そうと思った。ちなみに読書によって意識を高めることが悪いこととは思わない。意識高い系(笑)だろうと低いよりはマシだ。

 

ということで、まぁきっかけは別なのだけれど最近スマホをいじる頻度を下げてる。まずTwitterのアカウントを消した。本垢とサブ垢、どちらも消したので今は本当に何もない状態だ。もちろんスマホにアプリも入れていない。Twitterがなくなるだけでスマホを触る頻度がぐんと減る。

昔はTwitterで、ファボ(今はいいねと言うらしいです)やRTに快感を感じていた。おそらく快楽物質がドバドバ分泌されて依存していたのだろう。でも最近の私のアカウントはフォロワーも大して多くないし、反応も少ないし、快楽物質によって依存させられていたわけではないらしい。

私は主体的に物事を考えることが苦手だ。1人でいても何かを考えることはできない。他人の考えを受け入れることによって初めて脳みそが動き始める。ここ最近はTLに流れてくる無数のツイートによって脳みそを働かせていた。Twitterはいくらでも他人の考えを覗き見ることができ、かつ自分の考えを適当に述べることができた。

つまりTwitterはほかのものに代替可能だった。読書や人と会話することで十分。人と話せば自分の考えを口に出すことができるし、読書感想文はブログに書けば良い。

 

ところで、Twitterは悪者なのだろうか。私はTwitterを通じてたくさんの友人を得ることができた。旅行をしたり、困ったときには駆けつけてくれたり、朝までカラオケをしたり、ただのTwitterの人とは言えない。Twitter全てを否定することはできない。

ただ、今の私にとってTwitterはデメリットが多すぎた。だからやめてみた。そうしたら代替可能だった。しかし、代替可能であるのはTwitterという仕組みだけだ。そこで出会った友人たちの代わりはいないので、Twitterをやめてる間も関わっていきたい。

 

と思う。冬の夜長。空気が刺さる。あっという間に12月になった。すぐに今年が終わってしまう。

折れた

挫折しました。仕事に行けません。行かなくてはいけない状況のときに限って行けません。

でも昨日まで浅かった呼吸がやっと苦しくなくなったから、メンタル含めて体調不良ということで、自分を許します。病院に行きたいけど布団から起き上がれない…。これはダメになるな、ってときにどうしたら良いのか未だにわからない。

記録を残すことは大切。ただ余計な情報が目に入るのは不健康。雑多なインプットは不要。

 

最近観たものや読んだもの

  • 嘘つき女さくらちゃんの告白
  • エルム街の悪夢(フレディとの戦い方が現実的でよかった。超人的なパワーで怪物を倒す系にはうんざりしてる)
  • 横浜駅SF全国版(横浜駅SFの続編というより、ベースになる物語といった感じ。続編出ないかな…)

 

今読んでいるのは『ぼくたちは習慣で、できている』。なんとなくミニマリストの人が何を考えているのか知りたくて、ミニマリストの人の本でおすすめ教えてくださいって言ったらこれを教えてもらった。ミニマリストっていうことを抜きにして面白い。自分が必要としてる情報がたまたま目に入ったり、本に書かれていたりする現象は名前があるのかな。人混みでも自分の名前はよく聞こえるやつと同じだろうか。

 

明日は仕事に行けそう。眠くても疲れていても仕事に行けばそれなりにできるってことを知ってる。大丈夫だよね。

毎日が連続している

最近仕事が少しバタバタしている。残業時間はそんなに増えていないけれど、とにかく日中の混乱がひどく、私含めて全員パニックになっている。そのせいで日々が限られることなくだらだらと間延びしているように感じる。端的に言うと退勤してからも仕事のことが気にかかり、かと言って残業すれば解決するような問題でもなく、悶々としたまま眠るしかない。眠りが浅くなるのは当然だ。

人生というのは連続していたのだなあと実感する。こうやって昨日のことを今日も考え、明日もその続きを生きるということが苦手だと気づいた。その日1日で完結したい。ただ、なにか成果物を作り上げるために1日は短すぎるので、連続した人生をやっていくしかない。自分のやりたいことと限界のバランスを見極めることはなかなか難しい。そのバランスが崩れているような気がするので、今週末はスパッと断ち切りたい。人生が長すぎると飽きて続かない。一旦やめよう(どうやって?)。

わからないけど、私は私の人生を頑張るからみなさんも人生を頑張って。

アイワナビーア君の全て

繁忙期が終わり全身の力が抜けた。憂鬱な気持ちが消えなくて、しばらく飲んでいなかった睡眠導入剤を飲んだ。最近は良く眠れていると思っていたけど、薬を飲んでみて初めて良く眠れていなかったことに気づく。夜中に何度も目が覚めていた。

うじうじ悩むのも毎月のことだな。いつになれば毎日楽しい気持ちで過ごせるのかな。薬なしで眠れるのかな。小さな物音にイライラしたり不安になったり不快になったり、度が過ぎると泣きたくなったり。誰でも持っているような不安感をおおげさに捉えて、絶望的なきもちになる。自分と他人を比べるのはよくない。私の辛さや悲しみは私だけのものだから人と比べて大きいとか小さいとか言うのはナンセンス。わかっていても、多くの人は一人で感情を軌道修正して人生をやってる。現実に打ちのめされる。

できっこないをやらなくちゃ。明日からまたちゃんと私の人生を生きる。今日は一ヶ月に一度休む日。

うみのこ

美容院に行った。大学生のころから同じ美容師を指名し続けている。途中1年ほど大阪にいたので間は空いてしまったけど、帰ってきてからも変わらずこの人に頼みたいなあと思う。

自分の気持ちがささくれだってくるのは決まって髪の毛がボサボサになったときだ。前髪が伸びてうまく流さないとか、根元が黒くなってるとか、毛先が傷んでるとか。それらの問題は美容院に行くと解決する。毎月毎月、特に変えたいところなんてない。「なんとなく嫌になっちゃって」、それだけ言えば美容師のお兄さんは、「気分転換だね」と言いながら切り始めてくれる。面倒臭がりな私が毎朝ちゃんと仕事に行けるように、だれにも舐められないように、楽にセットできるように、何年もそうやって丸投げしてきた。

仕事はそんなに辛くないのに気分が上がらない。なんでかな、と思いながらトイレの鏡をぼーっと見てたら髪の毛がボサボサだった。これのせいだ、と思って美容院へ行って、さっきまでよりも可愛くしてもらった。世間の評価なんてどうでもよくて、毎秒毎秒自分のことを好きになれるし可愛いと思えるから良いんだ、これで。また明日から電車に乗って人目に晒されて働ける。目を見て話せる。また1ヶ月後、私がくさくさしたら今度はパーマをかけてもらおう。