人生ぴよぴよ

メンヘラが社会復帰目指す

弱い自分と向き合うあれこれ

この前の記事で書いた、『ぼくたちは習慣で、できている。』を読み終わった。小説以外の本は久しぶりに読んだのだけどとてもよかった。マシュマロ・テストの例から始まり、「意志が強い人」とはどのような人か、習慣を作る方法、習慣がもたらすもの、など。読書後なので影響を受けて意識が高くなっているだけかもしれないが、私も生活を見直そうと思った。ちなみに読書によって意識を高めることが悪いこととは思わない。意識高い系(笑)だろうと低いよりはマシだ。

 

ということで、まぁきっかけは別なのだけれど最近スマホをいじる頻度を下げてる。まずTwitterのアカウントを消した。本垢とサブ垢、どちらも消したので今は本当に何もない状態だ。もちろんスマホにアプリも入れていない。Twitterがなくなるだけでスマホを触る頻度がぐんと減る。

昔はTwitterで、ファボ(今はいいねと言うらしいです)やRTに快感を感じていた。おそらく快楽物質がドバドバ分泌されて依存していたのだろう。でも最近の私のアカウントはフォロワーも大して多くないし、反応も少ないし、快楽物質によって依存させられていたわけではないらしい。

私は主体的に物事を考えることが苦手だ。1人でいても何かを考えることはできない。他人の考えを受け入れることによって初めて脳みそが動き始める。ここ最近はTLに流れてくる無数のツイートによって脳みそを働かせていた。Twitterはいくらでも他人の考えを覗き見ることができ、かつ自分の考えを適当に述べることができた。

つまりTwitterはほかのものに代替可能だった。読書や人と会話することで十分。人と話せば自分の考えを口に出すことができるし、読書感想文はブログに書けば良い。

 

ところで、Twitterは悪者なのだろうか。私はTwitterを通じてたくさんの友人を得ることができた。旅行をしたり、困ったときには駆けつけてくれたり、朝までカラオケをしたり、ただのTwitterの人とは言えない。Twitter全てを否定することはできない。

ただ、今の私にとってTwitterはデメリットが多すぎた。だからやめてみた。そうしたら代替可能だった。しかし、代替可能であるのはTwitterという仕組みだけだ。そこで出会った友人たちの代わりはいないので、Twitterをやめてる間も関わっていきたい。

 

と思う。冬の夜長。空気が刺さる。あっという間に12月になった。すぐに今年が終わってしまう。