人生ぴよぴよ

メンヘラが社会復帰目指す

世界一やさしい教科書

仕事に行ったり行ってなかったりする。自分のメンタルの健康度の物差しとして「小説を読む体力があるか」というものがある。映画と違って自分で読み進めていく小説は場面を一つ一つ理解していかないと途端に意味がなくなるし、余裕がないと読めない。だから小説を読んでも気分が乗らないときは「落ちてるな」と思う。ただ、そういうときは大抵何かをしていないと不安や焦りに押し潰されそうになっているので、仕方なく実用書を読む。実用書なら分からないところは飛ばしてもあまり問題ないし、無駄に感情移入する必要はない。

最近やはり小説を読めなくなり、他に読みたい実用書もなかった私はエッセイを読んでいた。村上春樹のエッセイ以外ほとんど読んだことがない。読んだのはお笑い芸人のものを4冊、そのうち3冊はいまの自分にクリーンヒットした。もう1冊は自分と対極にあり、コンプレックスを刺激され腹が立った。そういう意味で言うと4分の4でクリーンヒットだったかもしれない。

最近Twitterで、精神科医は患者に週に1度通う必要のある趣味を持つことを勧めている、とかいうのを読んだ。それに通うことができるかできないかでメンタルの健康度を測ることができるそうだ。本当に精神科医がそう言ったかは知らないけれど上に書いたような、「小説を読むことができるか」というのは同じような指標だと思った。

最近はもっぱら電子書籍を読んでいる。Kindleを使用しているがWi-Fiモデルなので、外で新しい本を読みたくなってもDLできないという理由から家でまとめて何冊か電子書籍を購入して積ん読のようにKindleに溜めておくことが多い。なので、なんとなく暇だからKindleを起動し、目についた小説を読もうとして「やばい読めない」と気づくことが多い。そうなると数日後には仕事に行けないとか、眠れないとか、何かが起こる。これを週に1度とか、管理しやすいペースに持っていければメンタルのコントロールにも少しは役立つのだろうか。趣味までメンタルに絡めて考えようとしたら救いがないような気もする。

今日、私と同じようなメンタルの友人と話した。慰めたり励ましたりがどれだけ無駄か分かっているから私は口にしなかったし、相手も口にしなかった。会社行けねえ、まじしんどい、もう無理、どうしよう、ほんとやベー、眠いなあ。そんな会話をずっと繰り返して、無意味だしこの時間に働いている人に対して申し訳ないと思いながらも、不安や焦りを同じように感じているだろう人間と話すことは心地よかった。二人分の不安がそこにあるはずなのに、濃くなるどころか薄くなったような気がして。何の解決にもなっていないので所詮傷の舐め合いに過ぎない。

数年前にある人に言われた。「承認欲求は満たしあっていこうよ。傷は舐め合おう」。彼女、あるいは彼は私のような不安定さとは程遠い精神性だったけど、満たされていないのだろうなと思った。

当時彼女が揶揄したような承認欲求というものが今の私にはあまりない。例えば自撮りを載せていいねされたいとか、性的なツイートで関心を集めたいとか。自尊心が満たされたからなのか、大人になって諦めたからなのかは分からない。でも彼女の言ったことは外れていないと思う。誰かの寂しい気持ちや不安な気持ちは埋めてあげたいし、自信がなくなったとき私の言葉で少しでも何かを取り戻せるのなら何度でも声をかけたいと思う。私がされて嬉しいことをする。

だから私のことも満たしてください。